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巻頭言(Vol.32 No.9)2010.9.06

 明治三五年九月十四日朝、正岡子規はガラス障子の外に夏の終わりゆく中庭を眺めながら、高浜虚子に口述筆記させる。「・・・たまに露でも落ちたかと思ふやうに、糸瓜の葉が枚枚だけひらひら動く。其度に秋の涼しさは膚に沁み込む様に思ふて何ともいへぬよい心持であった。何だか苦痛極って暫く病気を感じないやうなのも不思議に思はれた・・」そして、五日後の九月十九日午前一時、三十六才の若さで死去する。
 正岡子規は、発句から俳句、和歌から短歌への革新を短い生涯のうちで成し遂げた。子規が短歌の革新に取り組んだのはカリエスが悪化し、殆ど寝たきりの生活を強いられた時期。病身を鼓舞して新聞「日本」に『歌詠みに与える書』を発表した。
 何事にもすべて実証的であった子規が俳句においても短歌においても革新したのは「写生」である。死の床にあっても、夏の終わりの中庭を、虚子に口述筆記の写生をさせる。「糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひら動く」。骨の髄まで写生精神に貫かれていたのである。尺ばかりの薔薇の芽に触れて見たくて花壇に向かう、さすれば、針やはらかに春雨が降っていたのである。
 斎藤茂吉は「写生トイフコトハ、生ヲ写スコトデアル、生ハ即チいのちノ義デアル」として「實相に観入して自然・自己元の生を写す。」これが短歌の写生であると言う。
 子規と茂吉の詩精神の原点を今度考えたい。 (松岡)

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