会員のブログ
巻頭言(Vol.31 No.12)2009.12.01

「三百号記念号に寄せて」
雑誌「太陽の舟」がとうとう三百号の記念号を出すに到った。昭和五十二年十月、伊那谷で阿部先生の第一歌碑除幕式のあった夜、岸田君が歌誌発行の思いを熱く語った。その当時私は短歌より熱い思いを抱くものがあったのでその参加に加わる事は無かった。しかし昭和五十三年十月、第三号で支部発足が図られ、私も一支部に名を連ねる事となった。初めて歌を出したのは、昭和五十三年十二月の父の死で悲しむ私に阿部先生はやさしく作歌を勧めて下さったからである。それが始まりだった。以来雑誌「太陽の舟」は長い創刊準備の時を持つに到る。それは十年、五十五冊に及ぶ。この長さはある意味短歌結社を持つ事への阿部先生の逡巡の長さでもあったろう。先生は「これ程長く、これ程多くの創刊準備号を出した結社は空前にして絶後だ」とよくおっしゃった。そして、昭和六十三年一月一日、満を持して創刊号として第五十六号は発行された。阿部先生の「創刊宣言」を全文掲載する。私達の太陽の舟短歌会の新たなる出発の宣言であるからだ。これからも決して変わる事の無い太陽の舟の支柱である。
  「創立宣言」夜の舟から昼の舟へ    阿部 正路 
 今、私たちは、高々と帆をあげて出発する。さらば、創刊準備号。
 太陽の舟短歌会を結んだのは、昭和五十二年の秋。そして、最初の創刊準備号が発行されたのは、昭和五十三年の六月。以来、確実に隔月刊を守って十年、五十五冊を重ねて創刊への基礎を固めた。
 私たちは、長い間、胎内に在った。そして今、私たちは、新しく生まれた。折から、エジプトのクフ王の大ピラミッドの西端で〈太陽の舟〉が発見された。ピラミッドの南面の東端で全長約四十メートルの太陽の舟が発見されたのは一九五四年。かくして、対をなす二隻の太陽の舟が確認されている。
 太陽の舟は、太陽神を運ぶ。東から西へ。日の出から日没まで空をゆく〈昼の舟〉。そして、地下の世界を西から東へ移動する〈夜の舟〉。二つの舟は一つになって無限循環の世界をとどまる事なく行く。今私たちは蘇生し、昼の舟を漕ぐ。力をこめて、悠久の世界に立ち向かい、決して屈しないと誓う。
 こうして私達太陽の舟は悠久の世界に立ち向かいながらついに三百号の発行に到った。多くの先駆者達を失なった。青翔短歌会と融合し、雑誌「ナイル」を発行、再び分かれて「太陽の舟」に戻った歴史をも持つ。人の一生と同様に太陽の舟も多くの紆余曲折があった。そして今がある。その事を何よりも大切に、私達は悠久の世界に立ち向かい、決して屈しない。何よりも真に感動にあたいする歌を作るために。(髙﨑)

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